新内研進派 家元 新内志賀(重森三果)

新内志賀(重森三果)

新内節は日本の伝統的な音楽のなかでも語り物といわれる種目に属しています。語り物は日本の声楽において、叙事的な詞章をそれぞれの種目に固有の音楽様式によって表現するものです。

 新内節は江戸期に京都で生まれた一中節を源流とした豊後節から派生し江戸で完成を遂げた江戸浄瑠璃として、同様に豊後節から派生した常磐津節、清元節とともに今日まで継承されています。参考として豊後節は江戸享保(1716年~1736年)末に都太夫一中の門人である宮古路国太夫(豊後掾)が京都で創始し、江戸で大変な流行を見ましたが、元文4年(1739年)に奉行所により風俗を乱す音楽として劇場での演奏や教授を禁止されました。そのため、豊後掾の門人たちは新しい派を起こし、分派することによりそれぞれの音楽活動を継続していきました。現在、常磐津節と清元節は歌舞伎の音楽として劇場やコンサートホールなどで鑑賞されています。

 新内節は成立初期には歌舞伎の音楽として劇場で演奏されていましたが、おもな演奏場所を花街などのお座敷に求めて座敷浄瑠璃として継承されていきました。

 新内節は江戸時代以降に主にその演奏する場所を花街などのお座敷などに求めてきた側面から、歌舞伎の音楽の様式である舞踊や演劇とともに上演されたり、文楽・人形浄瑠璃の人形使いとともに演奏される劇場音楽の形式ではなく、座敷浄瑠璃として「素語り」という浄瑠璃と三味線のみの上演形態のシンプルな形で主に継承されてきました。もちろん昭和時代に作られた舞踊曲といわれる日本舞踊で踊るために作られた新作の伝承曲も多数ありますが、古典曲の多くは「素語り」として演奏されるために「語り物」として「物語」のなかで描かれる人物の心情や情景を観客に伝えるための「ことば」と「節」を大切に演奏されてきました。

 今日までの新内節を振り返るとき、「素語り」として口承文芸としての聴く文学としての語り物の特徴として、複数の人物をひとりの演者が語り分ける演劇性を持つ「ことば」と、登場人物の心のうちを歌い上げる「節」、ならびに主旋律を奏でる本手の三味線と高音で調弦される福旋律を奏でる上調子の三味線の二重奏による音楽性は、伝承の過程のなかでその特徴を発達させてきました。

伝承の過程のなかで生まれた路傍の芸「新内流し」」は花街の街頭を太夫と三味線弾きが演奏をしながら歩き、新内流しの音を聞いた座敷の客が座敷に招いて演奏を所望するもので、街頭での宣伝と周知の方法のための演奏形態ではありますが、修行の場でもありました。

この「香綸会」では今日ホールなどで開かれる演奏会でマイクや音響などを使用しない生の声と三味線の音色を、祇園甲部にある美しい大正時代の元お茶屋の風情あるお座敷で楽しんでいただきます。

また現在は演奏時間の都合で物語の場面ごとに分けて上演される演目を通しで演奏する形式とし、「蘭蝶」「明烏」「一谷嫩軍記」「佐倉惣五郎」などの代表作をお届けいたします。